四天王寺は、推古天皇元年(593)に建立されました。今から1400年以上も前のことです。『日本書紀』の伝えるところでは、物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫り「もし、この戦いに勝たせていただけるなら、四天王を安置する寺院を建立しましょう」と誓願され、勝利の後その誓いを果すために、建立されました。
聖徳太子が四天王寺を建てられるにあたって、「四箇院の制」をとられたことが『四天王寺縁起』に示されています。「四箇院」とは「帰依渇仰断悪修善速証無上大菩提所」つまり仏法修行の道場である“敬田院”、病者に薬を施す“施薬院”、病気の者を収容し、病気を癒す“療病院”、身寄りのない者や年老いた者を収容する“悲田院”の四つの施仏教の根本精神の実践の場として、四天王寺を建てられたといえるでしょう。これらの施設は、中心伽藍の北に建てられたようです。
その伽藍配置は「四天王寺式伽藍配置」といわれ、南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む形式で、日本では最も古い建築様式の一つです。その源流は中国や朝鮮半島に見られ、6~7世紀の大陸の様式を今日に伝える貴重な存在とされています。