行事・境内案内

今月の仏像

金堂の四天王像

須弥壇中央の救世観世音を護るようにして、周囲に四天王像が祀られています。四天王寺の縁起を象徴する配置といえるでしょう。作者は大仏師の松久朋琳・宗琳師で、昭和54年に完成しました。様式は平安末期に記された図像集『別尊雑記』に基づいています。

一様に左手に三叉鉾を持ち、頭上には宝冠を戴いています。憤怒の相というより、諸悪を断固寄せ付けない毅然とした表情をされています。

境内建物案内

六時礼讃堂

境内中央に位置する雄大なお堂で、昼夜6回にわたって諸礼讃をするところから六時礼讃堂の名があります。薬師如来・四天王等をお祀りしており、回向(供養)、納骨等を行う当寺の中心道場でもあります。入口には賓頭盧尊者像やおもかる地蔵が祀られ、独特の信仰を集めています。

修正会・聖霊会などの大法要はこのお堂にて行われます。

重要文化財

亀井堂

亀井堂は戦火で焼失後、昭和30 年に再建されました。亀井堂の霊水は金堂の地下より、湧きいずる白石玉出の水であり、 回向(供養)を済ませた経木を流せば極楽往生が叶うといわれています。

東西桁行は四間あり、西側を亀井の間と読んでいます。東側は影向の間と呼ばれ、左右に馬頭観音と地蔵菩薩があります。中央には、その昔聖徳太子が井戸にお姿を映され、楊枝で自画像を描かれたという楊枝の御影が安置されています。

元三大師堂

元三大師をお祀りすることからこの名が付けられたお堂で、元和4年(1618年)の建立です。元三慈恵大師良源は第18代天台座主であり、叡山中興の祖といわれています。また、おみくじの創始者でもあります。

現在は、元三大師、弘法大師、文殊菩薩、普賢菩薩、如意輪観世音菩薩、不動明王を安置しています。毎月3日の例月祭の他、1月3日には新春合格祈願護摩供が厳修されます。

地蔵堂

釈尊入滅より弥勒仏出現に至る無仏の世(56億7000万年前の間)に、神力・慈悲・智慧・弁才の力を以って人々を救済するといわれる私達に最も近い存在である地蔵菩薩をお祀りする。

当堂は明治時代に近郷及び境内諸方より集めた有縁無縁の地蔵尊を、中之門を入った南側の小丘に合祀したのが始まりである。本尊「立江地蔵尊」は古来眼病に霊験ありとあつく信仰されている。毎月24日午前十時半、「地蔵尊供」の法要が行われる。(春秋彼岸中はおつとめはありません)(8月24日のみ午後四時)お堂の西に、元逢坂清水の「融通(ゆうづう)地蔵尊」を祀る。

見真堂

浄土真宗の祖である、親鸞聖人を顕彰し、建立されたお堂です。本尊を阿彌陀如来とし、 向かって右に聖徳太子像、左に六字名号の掛け軸が祀ってあります。

露座の親鸞聖人(見真大師)の御像は、堂横に安置されています。

大師堂

真言宗の開祖 弘法大師をお祀りしているお堂です。弘法大師は若き日、西門で日想観を修行されたとされ、お堂の北側には、弘法大師修行像が祀られています。

像のまわりに敷きつめられた砂は、四国八十八ヶ所霊場のお砂を集めたもので、 このお砂踏み場の参拝は大師堂で申し込みを受付けています。

布袋堂

俗に、乳のおんばさんのお堂と呼ばれ、子どもさんが健康に育つように、お乳がよく出ますようにとの願いをお持ちの女性がよくおまいりされます。入口には「お乳が出ますよう 」 との願いを書いた絵馬が多く吊り下げられています。

布袋さんと乳の出との関係はよく分かりませんが、一説には元来聖徳太子の乳母を祀ったのが始まりで、 布袋の乳の豊かさと乳の出がよくなりますようにとの信仰が結びついたものといわれています。

又、大阪七福神の札所にもなっております。

大黒堂

本尊は一体の像に大黒天、毘沙門天、弁才天の顔を持つ”三面大黒天”です。この姿からして福の神トリオの仏様は、子孫繁栄・福徳智慧・商売繁盛などにご利益があるとされ、昔から庶民の信仰が盛んでした。

毎甲子(きのえね)が御縁日として賑わいますが、特に旧正月には多くの人を集めます。

英霊堂

明治39年に建立されたときには大釣鐘堂と呼ばれ、当時世界一大きいとされた大梵鐘が釣られていました。鐘は第二次大戦で供出され、その縁により戦歿英霊を奉祀しています。

阿弥陀堂

現在の本堂は、昭和28年に三重県国束寺(四天王寺末寺)本堂を移築したものです。 本堂西側のお堂は、納骨総祭塔に納骨されるお骨を仮安置する納骨堂です。

万灯院

紙衣仏をお祀りしているため紙衣堂ともいいます。紙の衣を着て修行した羅漢さんを形どったこの仏さんは病気回復に功徳があるといわれ、毎年10月10日の衣替え法要は多くの信者さんで賑わいます。

1年間紙衣仏が着ていた紙衣を背中に当てます、これを3年続けると病気になっても、また、臨終の時でも不浄の世話を人にかけないといわれています。

願い事の書かれた護摩木を焚き、太鼓を鳴らしての祈祷が行われます。木槌と木臼が入口にあり、痛い所をさすると治るといわれています。

亀遊嶋弁天堂

亀遊嶋辯才天は、池の中央に島があり、辯才天を祀るお堂があります。この姿が、池に遊ぶ亀の甲に似ていることから名付けられたのでしょう。

毎年21日の例月祭では、辯才天法要が行われ「智恵弁才、福徳円満、子孫繁栄」に霊験があるとされます。 辯才天は、インドにおいて河の神とされたことから、水辺に祀られます。このお堂に祀られる辯才天は八臂あり、弓・宝珠・鑰(カギ)などを持しておられ、これらは私たち一切衆生を救い導かれるための智恵を表されたものです。

尚、毎年10月初旬には秋の大祭として、特別法要が行われます。

北鐘堂

正式には、黄鐘楼といいます。北の引導鐘(ひとつ鐘)・鐘つき堂とも呼ばれ春秋の彼岸にはお参りの人でごったがえすお堂です。このお堂の鐘の音は遠く極楽までも響くといわれ、先祖供養のための鐘の音が絶えません。

当堂の鐘は天井裏にあり、綱を引いてつく形式のため鐘は見ることができません。

南鐘堂

正式名称は、鯨鐘楼といいます。鐘は盤渉調の名鐘で、北の引導鐘の黄鐘調の音と並び称され、黄鐘調の陽春の音に対して、秋の幽寂の響きを伝え、聖徳太子の引入浄土の御誓願により、鐘楼から撞き送る響きは、はるか極楽浄土に通じるといわれ、春秋の彼岸会、盂蘭盆会、大師会などは、特に鐘を撞して先祖供養をする人々が跡を絶ちません。太子引導の誓願である由来によるのでしょう。

太鼓楼

北鐘堂と相対峙して、伽藍の両耳をなす。もと刻を知らせる太鼓を鳴らすお堂であったが、再建の際に新たに北鐘堂と同じ黄鐘調の鐘を設け、春秋彼岸・お盆・大師会には回向を行う。大晦日には、除夜の鐘・招福の鐘が撞かれる。

本尊は救世菩薩。

太子殿

聖徳太子をお祀りしているお堂(天王寺のご廟)で、正式には「聖霊院(しょうりょういん)」といいます。太子信仰の中心となっています。

前殿には十六歳像・太子二歳像・四天王が奥殿には太子四十九歳像(1月22日のみ公開の秘仏)が祀られています。毎年2月22日の「太子二歳まいり」ではお太子様の知恵にあやかるべく、2歳前後のお子たちを連れたご家族で賑わいます。

奥殿基壇内(地下)にはご信者さんにより永代奉安された太子観音像[極楽・水子・施薬・知恵・厄除・子育の六観音]が安置されております。他に毎月22日の太子忌法要、 六観音法要、そして毎年10月22日経供養には信者さんより奉納された写経も併せて供養されます。

経堂

創建年代は未詳です。現在の経堂は『勝鬘経』『維摩経』『法華経』の三経、その注釈である 「三経義疏」をはじめ高麗大蔵経・昭和荘厳経等が納められています。

10月22日には、経堂の扉が開けられ、経供養が執り行なわれます。

絵堂

杉本健吉画伯により「聖徳太子御絵伝障壁画」が奉納され、昭和58年に完成しました。絵堂は、 聖徳太子の一生の事蹟が描かれた絵伝を礼拝の対象として安置する建物で、 絵伝は主として太子の奇跡的な伝説を中心に制作されたものであります。

絵堂は、毎月22日に開扉されます。昔の人は絵解(絵の解説を物語風に節をつけて語る)を聞いて聖徳太子の生涯を知ったと言われます。

中門

中門は中心伽藍の南端、南大門の北に位置し、脇の間に伽藍の守護神である金剛力士 (仁王像)をまつっていることから俗に仁王門 と呼ばれています。東側が那羅延金剛力士、西側が密迹金剛力士で、大仏師松久朋琳・宗琳両師の作であります。

五重塔

聖徳太子創建の時、六道利救の悲願を込めて、塔の礎石心柱の中に仏舎利六粒と自らの髻髪(きっぱつ)六毛を納められたので、この塔を「六道利救の塔」といいます。塔の入口は南北にありますが、通常開放しているのは北側のみで、南正面に釈迦三尊の壁画と四天王の木像をお祀りしています。なお、この中心壁と外壁の各面に描かれた仏画は山下摩起画伯の筆によるものです。

金堂

聖徳太子のご本地仏である救世観音をお祀りし、四方を四天王が守護しています。毎日11時より舎利出しの法儀が厳修されます。南無仏のお舎利を以て、ご先祖のお戒名(霊名)が書かれたお経木にあてられ、又参詣者の頭にあててもらおうと多くの信者さんが参詣されます。

基壇下の青竜池より、白石玉出の清水が湧いており、この水を亀井堂に引いていると云われます。内壁には中村岳陵画伯筆の仏伝図が描かれています。

講堂

経典を講じたり法を説いたりする七堂伽藍の一つのお堂です。講堂内陣は中央を境に、東を冬堂、西を夏堂と呼びます。冬堂には現世の人々の悩みや、苦しみを救う十一面観世音菩薩、夏堂には来世極楽に人々を導く丈六阿彌陀如来をお祀りしています。つまり、現世と来世の二世に亘り、人々を安楽へ導き給うようにとの願いが講堂には込められています。

内壁には、郷倉千靭画伯による仏教東漸が描かれています。

五智光院

大日如来を本尊とする五智如来を安置し、授戒灌頂会を修する道場で、灌頂堂ともいわれます。また、徳川家代々の位牌を納めており、御霊舎(みたまや)ともいわれました。

五智如来とは、密教で五智を五仏に配すことをいいます。五智とは、法界の自性を明確にする智、鏡の如く法界の万象を顕現する智、諸法の平等を具現する智、諸法を正当に追求する智、自他の作すべきことを成就せしめる智、の意味です。

石舞台

亀の池の上に架かっている石橋に組まれた舞台で、毎年4月22日に聖徳太子を偲んで行われる聖霊会舞楽大法要の際には、古来よりの作法にのっとり舞台上で舞楽が舞われます。

側面に彫られた「舞台講」とはこの舞台再建に寄進の労をとった大阪の材木問屋の集まり(講)の名称です。

石鳥居

扁額の文字は「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」と書いてあり、これは『 おシャカさんが説法を説く所であり、ここが極楽の東門の中心である』の意です。この額は箕の形をしており<チリトリ>のように全ての願いをすくいとって漏らさない阿彌陀如来の本願を現しています。

もとは木造でありましたが1294年に現在の石造となりました。 寺に鳥居は奇異に感じますが、元来鳥居は聖地結界の四門として古来インドより建てられたもので神社に限ったものではありません。

重要文化財

庚申堂

南大門より南へ200m。四天王寺庚申堂は日本最初の庚申尊出現の地といわれ昔から日本三庚申の一つとして知られております。庚申の日に本尊に祈れば必ず一心叶えられるといわれております。境内の三猿堂には見ざる聞かざる言わざるの三猿が祀られ、病にまさる魔が去るとして信仰されております。

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