更新日 03月07日(金)
東日本大震災被災地訪問①
この3月6日・7日に、一泊二日で東北の被災地へ
視察に伺っておりました。(宮城、福島、岩手)
メンバーは瀧藤執事長と和仏青から3人と
天王寺区仏教会と天王寺区仏青から2人の計6人!!
最後の最後まで非難アナウンスをしていた女性職員さん
がいた場所として新聞などで大きく取り上げられたところです。
避難している屋上から、さらに2メートル上の高さまで
津波が来たといいます。。。
取り壊しか残すかを何度も議論されていましたが、
とりあえず、現在も残っておりました。
昨年に四天王寺で講演いただいたホテル観洋さんの持ちビル
だそうで、今回、女将さんの特別な計らいで中に入れて頂きました。
あの悲惨さを忘れないように…、
たくさんの方に覚えていて欲しい…という気持ちで
被災当時のままビルを残されていらっしゃるそうです。
4階建てのこのビルは、ホテル観洋が結婚式場などに
使用されていた場所で、3・11当日もここで催し物を
していたそうですが、その時も約300人近くの人が
屋上に避難されていたそうです。(無事救出)
なんと、その4階の屋上にまで上らせていただきました。
津波は屋上に立った場合、その膝まで水が来たそうです。
この日は写真でお分かりのとおり、すごく晴天でしたが、
屋上あたりの高さになると、風がビュ~ビュ~吹き荒れていて、
本気で寒かったです((+_+))
被災当日もこの時期だった訳ですから、
おそらく救出された方々は、命を救われたといっても、
津波の恐怖に加えて、突き刺さる寒さにも耐え忍んで
おられたというのが(少しですが)共感できました。
あと、宮城県に行くと毎回の様にお詣りしている
名取市の閖上湊(ゆりあげ みなと)神社にも寄りました。
ここは小さな高台になっているのですが、津波の水は
写真に写っている木の上あたりまで来たそうです。
3年たった今、
階段が整備され、鳥居と手すりが設置され、
津波で民家やら街の全てが流された場所で有名です。
ここからは、かつて家が建っていたと分かる「残された
基礎部分」が地平線の果てまで広がっている光景が見えます。
続きは明日