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更新日 01月26日(日)

あんまり知られていない話(守屋の祠)ご利益スポット

あまり知られてはいない話をひとつ、ご紹介いたします。

実は…
太子殿の東側にひっそりと、

物部守屋(もののべのもりや)の祠」がございます。

▲こんな感じの祠 (知られていないレベル中)

物部守屋とは、飛鳥時代に活躍した超トップクラスの
最有力者(最高官)で、今でいう大臣の役職ですね。。。

ちなみに、蘇我馬子のライバルとして語られますね!
用明天皇2年(857年)、物部守屋と蘇我馬子との間で
ヤマト政権を二分する一族の運命をかけたといっても良い程の
激しい武力衝突がありました。
一般には、「蘇我・物部の合戦」と呼ばれる戦乱です。
  
当時、蘇我馬子は外交政策を拝命されていたので、
「今の日本には仏教を勉強する必要がある!」と積極的に
推し進めていましたが、物部守屋は「日本には日本古来の
神祇信仰を守る必要がある!」と強く反対の意見を主張されて
いたので、俗に「崇仏・排仏の合戦」とも呼ばれているのが、
この事です。勝った方が日本の宗教を決めよう!と。
  
結果はご存知のとおり、合戦の際、物部守屋が味方の放った
矢に当たり(>_<)痛!蘇我(崇仏派)勢の勝利となりましたが、

ここからが、あんまり知られていないレベル(上級)ですが、
聖徳太子は推古元年(593年)、四天王寺を建立される時に、
戦いに負けた物部守屋の御霊を四天王寺の境内地に祀られ、
さらに守屋の家来達を寺の公人として使役されたといいます。

守屋の御霊は、聖徳太子のこの広大無辺な慈悲に対して
大感激したそうで、それからは四天王寺を守護する守り神として
参拝する人々の願いを叶えてくださっている!
という伝説があって、この祠は、別名

願成就宮(がん じょうじゅのみや)」

とも呼ばれており、四天王寺の信者なら守屋の御霊が
お願い事を叶えて下さるという「ご利益スポット」なのです!!

▲毎月22日のみ、絵堂無料拝観に併せて、この場所!
太子殿の右側からご参拝いただけるようになっています。
…あんまり有名じゃない話なので、ご紹介しておきます。

ご拝読、ありがとうございました。<(_ _)> ぺこり

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