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更新日 07月15日(土)

聖徳太子ウォーキング2017
第1弾「森ノ宮・玉造コース」のレビュー

こんにちは、奉賛会事務局です。
聖徳太子ウォーキング2017の報告をさせていただきます。

記念すべき第1回目は、平成29年6月18日。
森ノ宮駅~玉造駅の区間を約2時間半かけて歩くコース。
題して「元四天王寺が残る上町を散策」というテーマで
鵲森宮神社→森ノ宮遺跡→難波宮跡→玉造稲荷神社
→三光神社→真田山陸軍墓地→心眼寺のルートで実施しました。

 

JR森ノ宮駅北口改札で午前9時より受付開始。


▲スタート地点では奉賛会事務局員から挨拶
てんのうじ観光ボランティアガイド協議会のガイドさんの紹介を
終えて5班に分かれて出発しました!!

 


▲鵲森宮神社にて
こちらは鵲森宮の石崎宮司様にお話しをいただきました。
聖徳太子が物部守屋との戦いの際に、仏教の守護神・四天王に
戦勝を祈願して、勝利した暁には人々を救済する為のお寺
(四天王寺)を建立する事を誓願して、見事に逆転勝利した事は
有名な話ですが、現在の四天王寺の前に、太子は玉造の岸に
四天王寺の前身となるお寺を建てられています。
それが現在の鵲森宮神社であるということは覚えておきましょう。

 


▲森ノ宮遺跡にて
みな様、今から約5,000年前に、大阪人1号と呼ばれる
大阪最古の人骨が出土した事実をご存じでしょうか?
森ノ宮ピロティホール建設時に本格的な調査が行われた時に、
18体の人骨や大きな貝塚が見つかったそうです!\(◎o◎)/!
そんな話で盛り上がりつつ、先に進みます。

 


▲難波宮跡にて
難波宮跡は誰でも自由に基壇の上まで登れたり、
よく考えると贅沢な場所です。こちらは四天王寺の僧侶からの解説。
難波宮跡とは、大化の改新の改革の一つで、飛鳥から大阪に遷都する
計画があって645年に孝徳天皇がこの地に引っ越してこられた
場所です。しかし大阪遷都の話はウヤムヤになってしまいまして、
その後の聖武天皇の時代(744年)にもう一度、大阪遷都の話が浮上し
難波宮パート2が造営されるものの、またもや歴史的には実現せずに
終わってしまったという、そういう場所です。

写真の大極殿(宮殿)基壇は、実は記念として復元された
壮大なレプリカだったりします。

 


▲玉造稲荷神社にて
玉造稲荷神社に立ち寄り、鈴木宮司様にお話しをいただけました。
「日本書紀」に記された神様・玉作部の居住地にもなっています。
聖徳太子がこの地に長楽寺観音堂を建立されたとも伝わっています。

 


▲三光神社にて
三光神社では小田宮司様にお話しをいただきました。
境内には大阪七福神のうちの寿老人像が祀られています。
また、この地は真田幸村ゆかりの地としても有名で、
「真田の抜け穴」がありました。

 


▲真田山陸軍墓地にて
三光神社のすぐ隣にある帝国陸軍が設立した日本最古の陸軍墓地。
西南戦争や太平洋戦争までの日本陸軍関係の戦没者の方々が
祀られている場所で、ウォーキングスポットとなっています。

 


▲心眼寺にて
この地は大坂冬の陣で舞台となった大阪城の南側出城「真田丸」
の跡地でもあると言われ、NHK大河ドラマでも紹介されていました。

安土桃山時代後期、豊臣秀吉の時代に建設された心眼寺さん。
大阪の陣の後、一旦は取り壊されてしまいますが、その後
江戸時代に入って、真田幸村とその息子・真田大助の冥福を
祈るために再建立されたそうです。もちろん徳川幕府からすると
敵であった真田幸村ゆかりの寺なんて言語道断!
再建当初から幸村のお墓は作らせてもらえなかったのだとか…。

しかし、

じゃじゃ~ん!これは必見!!
大阪の陣から400年目にあたる(幸村400回忌)にあわせて、
とうとう2014年にお墓が建立されたのでした。
「真田左衛門佐豊臣信繁之墓」←本名の信繁で刻まれてます。

 

無事にゴール地点の玉造駅近くの公園に!


各場所5分~10分の簡単な説明ではありましたが、
充実したウォーキング&歴史探索となりました。


最後はJR玉造駅付近の公園で奉賛会事務局長より解散の挨拶と
全員で記念撮影をして解散となりました。(^◇^)
※写真はクリックで拡大できます

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